#01発想の原点

1967年まだ保科がイタリア語も十分に話せないころ、工場の同僚であり家具造りの師匠カルロ・チェザーレ氏の家にとある週末招待された。
30代半ばの夫婦と子供、母親の4人暮らし。
外壁はベージュの土壁にグリーンの窓枠とシャッター。
典型的なイタリアの郊外の住まいは庶民的な暮らしぶりを想像させた。
しかし家に足を踏み入れたときに見た、見事なまでに磨き込まれたモザイク模様の美しい石の床。
蝋燭の明かりだけでいただく素朴な家庭料理。
代々受け継がれた皿や磨かれたカトラリー、そして手編みレースのテーブルクロスやカーテン。
決して豪華ではない等身大の暮らし、だが心の奥まで染みいる温かく豊かな暮らしがあった。
この時経験した余りある幸福な時間の記憶が、その後の保科を突き動かす原動力となる。

また1967年からの修行時代に、保科に家具屋として歩む教えを伝授した師匠 アルベルト・ブルツィオ氏。
彼は人種の壁などみじんも感じさせず、日本から来た弱冠26歳の青年に家具づくりからプロモーションに至るすべてを教え、保科もまた彼の思想や人としての生き様にほれ込み、最大の敬意をもっていた。
そのブルツィオ氏が会社を定年退職し、ミラノを離れ郊外のぶどう畑の真ん中にある120年前に建てられた農家に移り住む。
当初は朽ち果てた壁に寂しささえ漂っていたが、壁の塗り直しはもちろん、数年かけてリビングを増築し、パーゴラの付いたテラスやプールも造った。
使われていなかった別棟の馬小屋は、書斎とゲストルームに生まれ変わった。
自ら改装を重ねた住まいは、ブルツィオ氏の人柄もあって常に人を温かく迎え、保科にとってもイタリアに行く度に訪れるのが待ち遠しい故郷のような存在となった。

チェザーレ氏やブルツィオ氏もそうであったように、イタリア人は家の大小にかかわらず、招待する客人に大概家の隅々まで惜しげもなく見せてくれる。
バスルームやトイレはもちろん、家族全員のベッドルームやクローゼットの中まで自慢げに。
それは見事なまでにも無駄がなく、必要なものだけがショールームのように美しくしまわれている。
余分なのものは置かないという頑固なまでの姿勢が貫かれているからだ。
掃除にも余念がなくとにかく心地よく暮らすため、大変な情熱を傾け、労力をいとわない。
例えば調理中でもなければレンジの回りは常にピカピカ。
バスルームも使った後は水滴をふき取る。
バカンスに出かける前に、カーペットは巻いて片づけ、家具には埃よけがかけられ、シェードを紙で覆い、クローゼットやキャビネットの中には、臭い消しのラベンダーの束をかける。
バカンスが終わればドアの内側まで丹念に拭き、木の家具はワックスをかけて使い始める。少々耳の痛い話である。
明快なことは、イタリア人が自分たちの生活を何よりも大切にする。だからその舞台装置である家はことのほか大切にし、道具も大事に扱うのだ。
家族や大切な人のためにできるだけの時間を持ち、その時間を楽しむことに全力を傾ける。
“豊かなモダンライフ”とは単に格好がいいことではなく、暮らすことを楽しみ住まいを大切にし、人と人との豊かな関わりがあることではないか。
その豊かさの一端だけでも再現することができれば。
イタリアで 集積された記憶と体験がエッセンスとなりカーサミア河口湖は1986年着工にこぎつける。

▲左・中央:アルベルト・ブルツィオ氏の家
 右:イタリア人の家庭によくみられる代々受け継がれたリビングボード。お手製のレースやテーブルクロス、カトラリーがしまわれている。

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