#00めぐりあった「私の家」

東京から約100km、車で1時間半。
アルフレックスジャパンの象徴ともいえる「カーサミア河口湖」は山梨県南都留郡鳴沢(なるさわ)村に位置する。
県の中南部、富士山頂を境に静岡県と接する県境の村で、歴史書には平安時代の800年代に溶岩流の被害を受けたという表記もあるが、雄大な自然に囲まれている。
この鳴沢の地に根を下ろしたのは1987年、30年以上も前に遡る。
イタリアで1967年から2年半の修行を終え、帰国後創設者の保科正はアルフレックスジャパンを設立。
従来の家具販売店への売り込みでは「こんな大きな家具は売れない。」と門前払いを受けながらも、百貨店の特設コーナーでの展開やヒット商品も生まれ、アルフレックスの家具は日本のマーケットで少しずつではあるが知られるようになった。
親会社の倒産のあおりを受けたこともあったが、なんとか踏みとどまり時代の先をいくショップを展開した。

アルフレックスは設立当初から設計室の機能を持ち、住宅設計や商業空間のインテリアデザインを手掛けていたこともあり、売り上げがどうにか安定した1980年代中盤、あるゼネコンと住宅供給ビジネスの話が持ち上がった。
事業の柱は従来の効率を優先したプレハブ系の住宅ではなく、高級感があり、さりとて当時億ションと呼ばれたような豪華さに訴えるのでは なく、ハイクオリティなものだけでつくる真に高品位な住宅を設計施工で請け負っていく。
当時住宅設計も手掛けていたがお施主の要望をかなえたものであり、アルフレックスが考える理想の住宅空間の実現が渇望されていた。
だから和洋折衷ではなく欧米型の合理性をベースにした。
建材も当時日本で入手できるものでは満足できず、サッシやドア、タイルまでをもイタリアから調達して、理想形を追求した。
そのための拠点とモデルハウスの構想が始まった。

モデルハウスは見てもらうだけのものではく、お客様の好みや理想を引き出すために実際に使えて、体験宿泊もできるユニークなスタイル。
だから水もガスも、トイレもバスルームもすべてが使える、まさに本物であることにこだわった。
都心部で理想的なスぺースを確保する難しさもあったが、むしろ東京の雑踏を忘れられる適度な距離と時間があり、名古屋、大阪からもアクセスしやすく自然があることを条件とし土地探しが始まった。
手探りで富士の南側も探したが、最終的に山梨の4500坪の土地を選んだ。
森の豊かな表情はどこか保科が2年半過ごしたブリアンツァ地方を彷彿とさせた。
富士の一合目ともいえる敷地は高低差もそれなりにあったが、それが建物と自然が織りなす表情を豊かに変える直感があった。
そして1985年から設計に着手。
保科はイタリア在住の間、そしてその後も毎年何回もイタリアで様々な住まいを訪ね、多くの時間を過ごした。
そこで経験したイタリアの住まいが持つ、言葉に言い尽くせない豊かさ、本質的な暮らしぶり、温かさに触れ、人生観が変わる衝撃を受けた。
そこで学んだことをこの住宅づくりに盛り込むことを決めた。
そして施設の名前は〈CASA MIA〉。
イタリアで招いてくれた家主はみな、玄関でこう出迎えてくれた「BENVENUTO A CASA MIA!」(私の家へようこそ!)。

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