interview

人格を持った、
わがままなキングのような存在

生々しく強烈なモノクロームのポートレートで知られる写真家の長濱治さん。
1960年代からキャリアをスタート、
70年代にはアルフレックスジャパンのポスターも手がけられた長濱さんは、
マレンコも長年愛用してくださっています。
アルフレックス ジャパンの黎明期から
ご存知の長濱さんに
「アルフレックス東京」にお越しいただき、
いろいろとお話を伺いました。(

撮影/長濱治

「我が家にはアルフレックスの家具はたくさんあります。食卓のテーブルと椅子、居間に置いてある丸いテーブルと椅子。椅子はNTだね。あとはマレンコと、(アルフレックス創業者の)保科正君が80年代にデザインしたソファ、ネオ クッシーニ。事務所にはウレタンだけで構成された一体型のソファ、BOBOも置いてある。70年に発表されたソファだけど、いまだに使っていますね」という長濱さん。アルフレックス ジャパンとの付き合いは、長濱さんと創業者の保科正とが多摩美術大学の同級生であったことから始まりました。「保科君は図案科で、僕は彫刻科。ただ当時は学生数が少なかったから、午前中の授業は一緒に受けていました。彼とは、放課後に科を超えた仲間同士で集まって、海外の本を翻訳して英語の勉強をしたり、学校とは別の課題を作ってディスカッションしたりといった、知的な部分で刺激を与え合う仲でした」と長濱さん。当初は写真家になるとは夢にも思っていなかったそうです。

そんな長濱さんが写真家になるきっかけとなったのが、高校の同級生である写真家の加納典明さんが上京したことにあったそう。「彼は高校卒業後、名古屋で既に活動していたんだけど、『これからは東京だ』と言ったら、広告写真の第一人者だった杵島隆さんのアシスタントになる約束を取り付けて本当に上京してきた。下宿先を一緒に探しましたよ。僕は写真のことは何も知らないけれど、加納の手伝いをしたり。ただ、就職を悩んでいたら親父が『2年なら遊んでいい』と言ったので、見様見真似で写真を撮り、自宅に暗室も用意して、とにかくたくさん作品を作りました」。最終的に、アートディレクターの堀内誠一さんらが設立した広告制作会社、アド・センターに就職した長濱さんは、立木義浩さんらが所属する写真部の一番下で働くことに。ここでさまざまな経験をされた後、1966年にはフリーランスの写真家として独立されました。

1970年代に
一世を風靡したポスターを撮影

「当時から僕が惹かれていたのは、ブルーワーカーやマイノリティ。学生時代に見たエド・ファン・デル・エルスケンの写真集『セーヌ左岸の恋』の影響もあったし、ヒッピー文化華やかなりし頃のアメリカ西海岸に行っても、もともと良いところのボンボンやお嬢ちゃんが多いヒッピーの若者よりも、その対局にいるバイカーに魅力を感じました」という長濱さん。その後、時間をかけて交渉を重ね、遂にバイカー集団として世界中にその名を轟かせたヘルズ・エンジェルスを撮影できるまでに。「彼らのことは十数年撮り続けて。1982年が最後だったかな。それを一段落としてまとめたのが、『Hell's Angels -地獄の天使-』(勁文社)でしたね」。この写真集に収められた写真の一部は、2013年に「アルフレックス東京」などで開催され、大きな話題を呼んだ「長濱治写真展-PHOTO REACTION-」にも展示されました。

自らの作品に取り組まれる一方で、広告や雑誌などの仕事も数多く手がけられてきた長濱さん。「保科君がいたVANのファッション撮影の仕事なんかもしていましたよ。僕はアイビールックじゃなくて、横須賀のどぶ板通りで買った米軍の放出品なんかを着ていたけどね」と教えてくださいました。「保科君から『イタリアに家具職人として修業に行こうと思っている』という話はちらっと聞いていましたが、1969年に戻ってきたらすごいことになっていて、驚きました。その後、『こういう家具を作ったから、ちょっと一緒に仕事やろうよ』と声がかかり、何回か撮影もさせてもらいました。一番最初はパンフレットだ、ポスターだというので、大きいスタジオを借りて2日、3日と時間をかけて撮影した記憶があります。僕の感覚で撮影していいというので自由にやらせてもらったけれど、家具の会社にそういう例はそれまでなかったんじゃないかな」。今も長濱さんが使われているというNTやSIGNALなどのスタイリッシュなポスターは人気が沸騰、貼り出すたびに盗まれたという逸話も残っています。

家とともに歴史を重ねる
主役級のソファ

撮影/長濱治

「そんな長濱さんがご自宅を建てられたのは1973年。以来、メンテナンスを繰り返しながら、大切に住み続けていらっしゃいます。「近年は特に、やっぱり家が一番、と思うようになりました。この家に住むようになって以来、マレンコは今のもので3台目。最初の1人掛けは知り合いにあげて、次に3人掛けか4人掛けを買ったんだけど、それも義理の弟に譲りました。今あるのは10年以上前に購入したもの。これは僕というよりはカミさんの特等席だね。僕は、ソファは家に帰ってきてそのまま気楽に座ったり横になったりできる、ネオ クッシーニで寝転がっていることの方が多いかな。保科君は優しいからね、あのソファも何も言わずにこちらを受け止めてくれるんです」。

一方、マレンコは「物を言うソファ」だとおっしゃる長濱さん。「カミさんはこれに座って本を読んだり、昼寝したりしていますが、僕なんかはおいそれと体を預けたりとかはできない。たまに座るけどね。マレンコ自身も、たぶん女性が好きなんだろうな」とニヤリ。そんな長濱さんにとって、マレンコというのは「環境を整えてやらないといけない、姿形のいい、わがままなキングのような存在」だそう。「ちょっと豪胆で不躾なところもある奴だけれど、なんだか離れがたいところもある。男だなあお前は、いい男だよ。唯一、会話のできる家具ですね」。長濱さんにとって、マレンコはいつまでも、強い存在感を放ち、適度な緊張感をこちらに求めてくる、特別なソファなのです。

取材・文/山下紫陽
撮影/名和真紀子

長濱治

長濱治/ながはまおさむ
写真家

1941年愛知県生まれ。64年に多摩美術大学を卒業後アド・センターに入社。66年に独立、以降フリーランスの写真家としてファッション、広告、ポートレートなど幅広い分野で活躍する。代表的な写真集に『暑く長い夜の島-長濱治沖縄写真集』(芳賀書店)、『地獄の天使』(勁文社)、『My Blues Road』(マガジンハウス)など。近著にピーター・バラカン氏との共著『Cotton Fields』(トランスワールドジャパン)、作家・北方謙三氏を40年以上撮り続けた集大成的写真集『奴は…』(トゥーヴァージンズ)などがある。