STORY OF CASA MIA KAWAGUCHI-KO
Chapter 1.
1987-
イタリアで知った、
人間らしい生活の原風景。
1987-
「こんなに大きなソファ、どうやって売ればいいんだ?」初めてアルフレックスの家具を見た売り場の販売員は、苦笑いしながら言った。
1969年の創業からしばらくの間、アルフレックスジャパンの家具づくりは苦難の中にあった。ソファという存在がようやく認知され始めた当時の日本の住宅事情において、イタリア生まれのアルフレックスの家具は、あまりに現実離れした存在だった。
どうしたら、この家具の良さが伝わるだろう。思い悩む創業者の頭にふと浮かんだのは、イタリアで家具修行をしていた頃に招かれた、ブリアンツァにある古い田舎家の風景だった。
1987-
ピカピカに磨かれた床と、よく手入れされた飴色のテーブル。祖⽗⺟から譲り受けた銀食器。日の落ちた部屋に、かろうじて人の顔が分かるほどのロウソクを灯す。食卓には自家製のサラミとパン、そしてたっぷりのワイン。夜更けまで続く、おしゃべりと笑い声。ごく普通の家の日常に、あまりある幸福があった。
「売りたいのは家具じゃない。イタリアのあの家で感じた、人間くさくて、心がじんわりと満ちるような、あの⽣活感そのものだ」創業者の気づきはやがて「暮らしの空気をまるごと体感できる、本物の家をつくろう」という大胆な発想に⾏きつく。
“Benvenuti a casa mia!(わが家へようこそ!)”
心からの笑顔とともに掛けられたこの⾔葉は、1987年、そのまま施設の名前になった。
1987-
Chapter 2.
1989-2024
本当の豊かさが、
この場所に
宿っていると信じて。
1989-2024
作りたかったのは、贅を尽くすのではなく、選りすぐりの素材で建てる合理的な家。各棟ごとに住み手を設定し、その家族が心地よく暮らすための家を作るという発想から設計し、インテリアを考えた。建具やタイル、内装材はイタリアから輸入し、当時はまだ珍しかった西欧建築のディテールも多く取り入れた。
3棟のモデルハウスは電気もガスも使える、本物の家であることにこだわった。ショールームではない生きた空間の中でインテリアを体感し、ときには宿泊もしながら家具の使い心地を試していただく。建築インテリア業界の方はもちろん、一般のお客様もお招きし、私たちが思う「心豊かな暮らし」とは何かを、この施設を通して伝えてきた。
1989-2024
90年代初頭にはゼネコンと組んだ住宅供給プロジェクトも進んだが、バブル崩壊でこの計画は早々に幕を下ろす。経営環境が揺れ動く中、この施設の維持メンテナンスには少なからぬコストがかかり、手放すという選択肢を何度も考えた。けれどそのたびに立ち止まり、思い直す。「私たちが目指す暮らしの原点が宿る場所を、なくしてはいけない。こんな施設を持っている家具ブランドは、他にない」
カーサミア河口湖はどんなときも、社員にとっての誇りだった。私たちはモノを売るのではなく、暮らしの提案者でありたい―。今日までこの施設を続けられたのは、その想いが創業者から社員へと、たしかに受け継がれてきたからに他ならない。
1989-2024
Chapter 3.
2025-
変えようとして気づいた、
変えてはいけないこと。
2025-
開設から37年を経て、本格的な改修計画がスタートした。温暖化によって冷房の設置が必要になり、キッチンの入れ替えや水回りの修繕も加わり、工事は想定以上の規模になった。住まうことは、綺麗ごとではない。都心のショールームとは異なる、住宅ならではの課題をひとつずつクリアしていく作業だった。
その一方で、変えなくていいこともあった。モデルハウスは現代のライフスタイルに合わせて間取りをアップデートしたが、そのまま残した部分も多い。フローリングや塗り壁は経年変化によって艶を増し、良質な天然素材ならではの深みを空間に与えている。良いものは、いつの時代も良い。改修を通して、そんなシンプルな真実にも気づくことができた。
2025-
人々の生活スタイルは多様化し、住まいのあり方も変わっていく。「心豊かな暮らし」に正解はない。けれど私たちはいつの時代も変わらず、人の数だけある「こんなふうに暮らしたい」に寄り添い、家具を通して心から満たされる住空間づくりをお手伝いしたい。今までずっとそう考えてきたし、この先も揺らぐことはないだろう。
カーサミア河口湖の物語は、これからも続いていく。暮らしへの変わらぬ信念を持って、移りゆく時代の変化を楽しみながら。
2025-